赤ちゃんの時のことは覚えている人は少ないけれど
育てられたことは「聞かされ」ることにより知っている。
体験の記憶が無くても、それがないことにはなりません。
仏法に育てられることを「お育て」ということがあります。
目に見え、体験し、記憶していることだけが全てではなく
むしろ、目に見えないこと、気づいていないこと、心が及ばないところにも大切なことがあり
それが私を育てている。
仏さまは目に見えないし、心及ばけることが出来ないけれど
「お育て」にあづかっている。
「肝心なことは目にみえない」
星の王子さまの有名なフレーズですが、
肝心なことは見えていないと思えればこそ、自分の住する世界も広がっていきます
浄土真宗は、この見えないはたらきを「仏の願い」といただきます。